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何陽律師について(藤本)

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藤本です(何陽律師の紹介欄に紐付けたく、Webの設定上は「何陽」として記入しています。)。
当法人に所属しながら、主として中国で活躍された何陽律師がお亡くなりになりました。まだ30歳の若さでした。

何律師は、武漢大学法学院をご卒業された後、早稲田大学に刑事法の研究で留学していたのですが、当時のことは私は知りません。

あるとき、前の事務所のパートナー弁護士であった私は、ある中国人律師を採用しようとしていました。しかし、残念ながら、その中国人律師は、別の事務所での就職を決めてしまいました。そのことを悪く思った彼が、「自分より優秀」だが「日本で就職したいのに就職がない」ということで困っていると言って紹介してくれたのが、何律師でした。

何律師は、司法試験を460点(中国の司法試験の合格点は360点)で合格しただけでなく、本当に論理的で知的であり、私が与える課題をしっかりこなした上で、私のミスを何語(中国語は勿論、日本語・英語)であっても丁寧に見つけてくれました。また、私の意見が間違っていたり、疑問があれば、良く議論をしたものでした。当時の事務所で私と何律師が議論している姿は、真剣そのものでしたので、喧嘩でもしているように見えたそうです(本人達にそのような認識はありませんでしたが。)。クライアントからの評価も高く、私が依頼を受けた案件で、ご指名で海外出張に同行したこともありました。私は、彼女の日本での勤務を長く望んでいたものの、彼女は一人っ子でしたので、長沙のご両親にお会いして、ご両親のお考えをお聞きしに行ったこともありました。彼女の実家で料理をごちそうになったのですが、その際のお話で、特にお母様の色々なご発言に感銘を受けたことを強く記憶しています。

私は、非常に優秀な中国人スタッフに恵まれ続けていますが、彼女を上回る者は、まだいないと思います。

そういう経緯でしたので、私が前の事務所を辞め、創知法律事務所の設立に参画しようとする際に、ちょうど中国に帰国しようとしていた彼女を引き留めて、半々でも1:3でも良いから、新しい法人に所属して私の仕事を手伝って欲しいとお願いしました。以後の活躍のベースは、ご親戚と一緒に経営されることとなった長沙の法律事務所となりましたが、私からの依頼事件もしっかりこなしてくれていました。

しかし、2019年9月20日午前10時27分頃、長沙市中級人民法院の目の前で、急発進した自動車に追突され、何陽律師は、胸骨等様々な箇所を骨折する致命傷を負い、帰らぬ人となりました。

何律師の上司として、生前の何律師に対する格別のご厚誼、ご厚情に対し感謝申し上げます。

藤本一郎