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法科大学院教育について(藤本)

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藤本一郎です。

創知法律事務所は、設立時に弁護士5名でスタートしましたが、2年が経過して現在11名の弁護士を擁しています。このうち、私を除く全員が、新しい法曹制度である法科大学院制度がスタートした後に、法科大学院教育を経験して弁護士になった者です(伊藤翔汰弁護士は、京都大学法科大学院に合格・入学後に、予備試験に合格の資格で司法試験に合格したため、法科大学院を退学していますが。)。

私個人は、我が国における法科大学院教育がスタートする前に、昔の司法試験制度、つまり、教育を問わずに誰もが受けられる試験に合格して弁護士になった身です。司法試験合格率は2%台でした(現在の司法試験制度では、原則として法科大学院を修了するか、先述の予備試験に合格するかした者でなければ受験できないため、受験者が減っており、合格率は25%前後です。)。しかし、米国では、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学してまず米国の法科大学院教育を知り、そこでの経験も踏まえて、日本に戻ってきてからは、一貫して法科大学院教育にかかわっています。現時点(2019年)で申し上げると、京都大学法科大学院で客員教授として「渉外契約演習」「中国企業取引法」の授業を担当し、同志社大学法科大学院で客員教授として「コーポレートガバナンス」「アジア法Ⅰ」の授業を担当し、神戸大学法科大学院で「中国法」の授業を担当しています。実務家である弁護士が、年間5コマもの教育を担当するのは、かなり多いと思いますし、負担感はあります。ただ、いまの法曹養成教育の中核は、制度上も、実際上も、間違いなく法科大学院教育であろうと思っており、それをよりよくすることに多少なり貢献したいとの思いから、続けているものです。

ところが、私と同じく旧司法試験に合格した後に弁護士になった者や、現在予備試験に合格した後に司法試験を受けて合格し弁護士になった者を中心として、この法曹養成教育の中核である法科大学院教育は不要である、又は縮小すべき(具体的には、法科大学院教育を受けたか否かを問わずに司法試験の受験資格を与えるべきだ)との議論が出ております。また、これとは少し異なりますが、この間の国会(衆議院)では、法科大学院在学中に司法試験が受験でき、また、大学法学部を法科大学院入学志願者について3年で卒業できる等を実現する法案が可決されました(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190510/k10011911481000.html)。

ここで問題にされていることは、次のようなことです。
(1) 司法試験に合格し、かつ、弁護士になるまでの時間がながすぎる(期間的な問題)
(2) 上記と関連して、経済的な負担が大きい。
(3) (1)(2)の負担のためか、法曹志願者が減っている。
(4) (3)と相まって、優秀な法曹が育成できていない。

また、これと少し違うのですが、これらの議論の中で、弁護士の人数が増加したため、弁護士の一般的な経済的地位が下がった、簡単に言えば稼げなくなったことをどう評価するのか、という問題もあり、旧制度に戻した方が良いという方は、概ね、司法試験合格者数をより少なくして、弁護士間の競争を小さくしようという考えをお持ちのようです。

ただ、これらの議論は、旧制度に戻しても合格できる人のことしか考えていないように感じます。要するに、「天才のための制度」が良いという方です。

確かに、一発試験であった旧司法試験に戻そうという発想、理解できなくはありません。試験に強い人は、一定程度「賢い」筈で、この「賢い」人こそ、法曹の世界で活躍するべきである、というものかもしれません。ただ、合格率2%の試験が、果たして本当にマトモな試験だったでしょうか。私は、本当に運良く、地方の普通の公立高校から京都大学に合格でき、そこからまた司法試験に合格者できたのですが、自分が「賢い」からではなく、運が良かったという思いしかありません。やるべきことをやったら、ある程度の割合で合格できる制度の方が、安心して目指すことができるのではないでしょうか。今の教え子を見ていると、司法試験に合格するのは、奇跡ではなく、頑張ったら普通に実現できることになっています。司法試験も、法曹も、制度ですので、ちゃんと頑張った人に見返りがある、いわば、(仮に特別な才能がなくてもしっかり努力が継続できる)「秀才のための制度」とする必要があると思います。

なお、私の司法試験合格時の合格者平均年齢はおおよそ28歳でした。公表されている法務省の統計資料(http://www.moj.go.jp/content/001269384.pdf)によれば、いまも合格者平均年齢は28歳です。従って、事実として、司法試験に合格するまでの時間が長いのは認めますが、これが旧制度と比較しても長すぎるということはありません。 なお、当時と比較すると、司法修習の期間が短くなっているため、弁護士になる年齢で比較すれば、若干ですが現在の制度の方が若くなると思います。

経済的負担が増えていることは事実ですが、これは、教育に必要な対価であり、奨学金や、その他の制度で支えるしかしかたないと思うのです。実際、教え子を見ていても、成績優秀者で奨学金の返還が免除されたり減額される者も多数います。また、公的制度だけに頼ることなく支援するという趣旨で、私も、自ら理事を務める財団法人で法科大学院教育に対する返還不要の奨学金制度の導入と実施に関わっております。なお、米国の法科大学院教育では、1年間で約6万ドル(700万円)もの学費を必要とします(日本は、国立大学の場合年間授業料で約80万円)。米国と比較したら相対的に安いということが言いたいのではなく、本来それくらい価値のある内容を提供していると思います(その分、非常勤講師などが安い講師料であっても、自らが受けた過去の恩義に対する対価だとして担当していると理解しています)。

なお、予備試験は、法科大学院教育の経済的負担を回避するための制度として例外として認められました。しかし、実際のところは、予備試験の受験資格制限がないために、法科大学院志願者や法科大学院在籍者の優秀層の模擬試験ないし教育短縮制度として利用されてしまい、本来の目的を達するどころか、法科大学院教育を混乱させていると思います(私の授業でも、予備試験前は授業に出てこないという学生がいます。制度がそうだから仕方ないのですが。)。

弁護士が食えなくなった、と言う人がいますが、しかしレストランの廃業率は、2年後で約50%、10年後で90%と言われています(例えば、http://news.livedoor.com/article/detail/9660849/)。弁護士の廃業率は、正式な統計はないと思いますが、ごく僅かです。私自身も、特別に経営の勉強をした訳ではないですが、大きな法律事務所を辞めて自ら法律事務所を創設することに関与しましたが、無事に2年間廃業せずに済みました。もっと事務所を拡大できると思っています。

つまるところ、新旧両制度を知る者の1人として、現行制度は、確かに問題を抱えてはいるものの、旧司法試験制度のような「天才のための制度」ではなく、「秀才のための制度」として、及第点が得られる程度には機能していると感じます。法科大学院教育は、大学にもよるでしょうが、多くの教員や実務家によって、適正に運営されていると、少なくとも私は感じます。私に現にきている多数の法律事務を見ると、法律家が言語や技術にとらわれずに様々な分野で活躍できるならば、更に多くの仕事を得られると感じます。そういった新しい分野で法曹が活躍するためには、やはり法曹の数を増やして、新しい分野でもやっていこうという者が増えていかないといけないと思います。弁護士は、機械が仕事をしてくれませんので、労務から離れてお金を得られませんから、大金持ちにはなれないかもしれませんが、経済的に他の業種と比較して恵まれている状態が続いていると思います。このような状況下で、(自らは現に弁護士業を継続して行っているのに)「弁護士が食えなくなった」等と述べて、不当に将来の法曹志願者を惑わせるような同業者が現にいることについて、腹が立って仕方がないです。

このHPをご覧になっている方の中に、将来の法曹志願者は少ないかもしれません。ただ、そのような方を採用したり、子どもとして育てたりするかもしれません。どうか、現在の法曹養成教育の中核である法科大学院教育を冷静に見て頂き、法科大学院教育に対する叱咤激励をお願いしたいです。本当に法科大学院がサボっているのであれば、批判をしてください。でも、頑張っている法科大学院に、根拠のないデマを投げるような行為は、謹んで頂けると嬉しいです。