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弁護士ストーリーズ第7回:宮本和弥弁護士

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【弁護士ストーリーズ】

第7回:宮本和弥弁護士:事務所所属とインハウスの二足のわらじを履いてみて

 

創知法律事務所の個性豊かな弁護士たちの素顔に迫るインタビュー企画「弁護士ストーリーズ」

第7回は、宮本和弥弁護士です。

宮本和弥弁護士 藤本一郎弁護士

今回、宮本弁護士が最先端のAIスタートアップ企業へ新たな挑戦に旅立つ節目にあたり、かつて、その前の企業で法務管掌取締役と法務・コンプライアンス部門従業員という関係でもあり、創知でも苦楽を共にした藤本一郎弁護士がインタビュアーを務め、これまでの軌跡とこれからの展望を語り合いました。

司法の街・和光市から、「滑り止め」の法学部へ

藤本: 創知法律事務所の「弁護士ストーリーズ」第7回、今回は宮本和弥先生です。よろしくお願いします。改めて履歴書を拝見したんですが、埼玉県和光市のご出身なんですね。司法研修所がある場所ですが、小さい頃からその存在は意識されていましたか?

宮本: よろしくお願いします。はい、和光市の出身です。研修所の存在はもちろん知っていましたが、正確に「法曹になるための研修施設なんだ」と制度として理解したのは、大学生ぐらいの頃ですね。

藤本: なるほど。大学は帝京大学の法学部に入学されていますが、法学部を選んだ強い理由があったのでしょうか?

宮本: いや……単純に、大学受験の滑り止めでそこしか受からなかったからです(笑)。当時は文学部の哲学科なども併願していました。ですから、入学時点では弁護士になろうなんて全く決めていなかったんです。

藤本: 哲学か法律か、という状態だったんですね。法曹への興味はどのタイミングで湧いてきたんですか?

宮本: 入学後、法律関係の勉強が面白いと思い始めたんです。特に「検察官」になりたいという気持ちが選択肢として浮上してきました。きっかけは、高校時代に見たドラマの『HERO』ですね。

藤本: ああ、ありましたね! キムタクと松たか子が出演していた……。

宮本: そうですね。あのドラマを見て「検察官」という仕事を初めて知ったようなもので。純粋に面白そうだなと思ったんです。大学1年の必修科目の中でも「刑法総論」が一番面白くて、それを仕事にするなら検察官が一番わかりやすい形でした。その後、3年次に刑事訴訟法のゼミに入った際、指導教授が元最高検の検事だったこともあり、実務のリアルな話を聞く中でますます検察官志望に傾いていきました。

営業マン生活を経て、背水の陣で挑んだロースクール

藤本: ただ、当時は法科大学院(ロースクール)制度がスタートする頃でしたが、宮本先生は大学卒業からロースクール入学まで5年空いています。これはどうしてですか?

宮本: 身も蓋もない話ですが、当時の帝京大学法学部から司法試験に合格する人はほぼ皆無、そもそも受験する人すらほとんどいない環境でした。両親からは「受かるわけがない」と大反対されまして……。「せっかくの新卒なのだから、まずは就職活動をしなさい」と。

当時の私にはそれを押し切るだけの情熱もなく、いざなみ景気で内定もすぐに出たため、一旦サラリーマンとして3年間働いてみることにしたんです。

藤本: なるほど。では、3年働いてみて、やはり法曹への思いが消えなかったと?

宮本: ええ。思いが消えなかったのが一つ。もう一つは、当時営業職をしていたんですが、「これをあと40年続けられる自信がない」と痛感したことです。一言で言えば、営業として仕事ができない人間だったんです(苦笑)。それで、退職して法科大学院を目指す決意をしました。

藤本: 企業であれ、弁護士であれ、営業は本当にしんどいですね。必ずしも正論を言えば成果が出るものではないですからね。その後、國學院大學の法科大学院(未修コース)へ進まれます。これもまたマイナーな選択ですが……。

宮本: いわゆる「下位ロー」と呼ばれる人気のない法科大学院でしたが、入試時期が早かったんです。当時は適性試験の結果次第でそもそも法科大学院の受験ができない、いわゆる「足切り」がありました(当時、多くの法科大学院が適性試験の下位15%程度を目安とする最低基準を設けており、成績次第では事実上受験できない法科大学院もあったのです。)。私は適性試験の点数があまり芳しくなかったため、下位から順番に受けようと思ったら、最初に受けて最初に受かったのが國學院でした。自学自習が何より大事だと思っていたので、「24時間使える自習室があるならここでいい」と進学を決めました。

藤本: 当時の文科省の指導もあって進級も厳しい時代でしたが、自信はありましたか?

宮本: 1年の前期試験が終わるまでは自信がありませんでした。初年度は奨学金も落ちて、高い学費を払っていましたから。でも、1年前期の最初の成績が返ってきたらトップだったんです。下位ローの中とはいえ、「自分はできるんだ」と少し自信になりました。結果的に、1年目から3年目までずっと首席でした。

藤本: まさに「鶏口牛後」ですね! 教員や事務の方からの「当校の星」としてのキラキラした期待の眼差しを一身に背負っていたんじゃないですか?

宮本: おっしゃる通りです。先生方から特に期待されているな、というのは肌で感じていました。

模試はC判定、1日4時間の勉強。文科省勤務と4度目の司法試験

藤本: 卒業後、司法試験には4回目で合格されています。受験期間中はどのように過ごされていたんですか?

宮本: 最後の1年間は、文部科学省に入省して働いていました。

藤本: それはどんなお仕事を?

宮本: 「研究開発局 原子力損害賠償紛争和解仲介室」という部署です。3.11の福島第一原発事故に起因する損害賠償請求について、東電と被災者の方との間の和解を仲介するために文科省に設置された機関(ADRセンター)で、そこに非常勤のような形で所属する180名前後の弁護士(調査官)の先生方のサポート、いわゆるパラリーガルのような業務をしていました。

藤本: その仕事をしながらの受験となると、最後の年はかなりピリピリしたのでは?

宮本: 精神的にはかなり削られていましたね……。3回目の受験の時は模試でA判定が出ていたのに落ちてしまい、働きながら受けた4回目は勉強時間が1日4〜5時間しか確保できず、模試もC判定まで落ちていましたから。

藤本: 当時、「5年で3回」の受験制限が、「5年で5回」に緩和された後でしたから、これが最後の受験ではなかった訳ですが、その勉強時間だと、4回目は、精神的プレッシャーが相当なものでしたね……。見事に合格して1年で文科省を退職し、司法研修所へ進まれた。この時点で、検事ではなく弁護士を選んだのはなぜですか?

宮本: 検察官や裁判官と比較して、弁護士の「自由度の高さ」に魅力を感じたからです。極端な話、採算を度外視すれば刑事弁護で釈放後のケアまでとことん寄り添うこともできる。どんな事件を受け、誰と付き合うか、すべて自分で選べる点に惹かれました。

大手事務所の洗礼と、インハウス弁護士への転身

藤本: 弁護士登録後、宮本先生は、國學院大學で教えを請うた先生の事務所に入所されます。その後、大手の渥美坂井法律事務所・外国法共同事業へ移籍されます。大手ならではの経験はいかがでしたか?

宮本: 良かった点は、複数名で一つの案件に取り組む経験ができたことですね。不正調査案件などでチームを組んで動くのは新鮮でした。あとは……お恥ずかしい話ですが、契約書レビューを「Wordの変更履歴」と「コメント機能」を使って行うという“お作法”を、渥美坂井に行って初めて教わったんです。それまでは知らなくて。

藤本: それは法科大学院や研修所のカリキュラムの問題でもありますよね。私は、法科大学院の授業で教えているんですけどね・・・。一般的には、実務のリアルな作法を教えるコマが少なすぎますね・・・。その後、宮本先生はなぜインハウス(企業内弁護士)の道へ進もうと思ったのでしょうか? そのまま大手事務所で弁護士を継続するという道もあったと思いましたが。

宮本: 外部の顧問弁護士という立場だと、どうしても「紛争が顕在化してから」相談が来ることが多いんです。「もっと手前で相談してくれれば、より良いリスク回避のアドバイスができたのに」と歯がゆい思いをすることが増えて。紛争が終わったらそれっきりではなく、もっと組織の中に入り込んで当事者側として法務をやりたいと思うようになりました。

藤本: なるほど。そこで、宮本先生は、私が一時期、代表取締役社長を務め、当時も法務・コンプライアンス室の担当取締役をしていた会社に、創知法律事務所と兼務という形式で入社することになるのですが、この選択をしたのは、宮本先生にも理由があったのですか?

宮本: はい、実は、インハウスを経験はしたかったのですが、当時、私には、個人の顧問先のクライアントもいまして、同時に法律事務所に所属して、兼業という形式で、法律事務所での執務も継続したいという、かなり都合の良い希望がありました。創知+インハウスのミックスは、まさに私の希望通りでしたので、これだと思いました。

藤本: なるほど。実際に中に入ってみていかがでしたか?

宮本: 非常にやりがいがありました。法曹資格を持っているということで社内から厚い信頼を寄せてもらえましたし、M&A案件の(外部専門家に依頼するのではなく、社内メンバーで担当する)現地デューデリジェンス(DD)のために、社内他部署の方々と合宿のような雰囲気で地方へ出向いてわちゃわちゃと仕事ができたのは、外部の法律事務所ではなかなか味わえない楽しい経験でした。株主総会対応など、企業法務の最前線に携われたのも大きな財産です。

創知での日々、そしてAIスタートアップへの新たな挑戦

藤本: 創知法律事務所のメンバーとしても関わっていただきましたが、プロパーの弁護士と異なり、所外にいることが多かったですね。少し外野からの視点も含めて、当事務所の印象はどうでしたか?

宮本: 年に1回、事務所全体での「合宿」があるのがすごく良い文化だと思いました。ただの飲み会ではなく、泊まりがけでしっかり勉強会もする。あと、案件の多様さも魅力で、医療過誤から企業法務、渉外案件まで、非常に幅が広い事務所だと感じています。

藤本: 合宿といえば、いつも池上弁護士と相部屋でしたよね。

宮本: 池上先生には本当に救われました(笑)。合宿に必ずNintendo Switchを持参されていて、僕もゲーム好きだったので、二人でずっと遊んでいましたね。創知プロパーの弁護士ではない私にとって、池上先生のおかげでスッと馴染むことができました。非常に居心地の良い環境を作っていただいたと感謝しています。

藤本: さて、実は私が取締役であった会社は、私も今は完全に籍がなくなり、宮本先生も既に退職され、新たな道へ進まれます。次はどのような挑戦をされているのですか?

宮本: AI(人工知能)関連のスタートアップ企業へ転職し、引き続きインハウス法務を担当します。兼業OKの会社なので、個人の案件も並行して受けていきますが、創知は近々退職となると思います。AIという最先端の分野で、法務の立場から「今何が起きているのか」「次にどんな研究分野が来るのか」を内部から把握できる環境に身を置きたいと考えました。

藤本: インハウスに軸足を置くと、将来的に独立した法律事務所へ戻りづらくなるという懸念はありませんか?

宮本: 正直、その懸念はあります。ただ、私はまだ特定の分野に特化するより、色々な分野を経験して自分にできることを広げていきたいフェーズだと考えています。

藤本: 誰もが歩むわけではないオリジナルの道を開拓されていますね。宮本先生と私は、企業において取締役と従業員という形で一緒に仕事をする期間が長かったですが、非常にバランス感覚に優れた先生だと感じていました。どこの所属になってもうまくやっていかれると確信しています。最後に一言あればお願いします。

宮本: 藤本先生との仕事を通じて、「自分には思いつかないような法律論の組み立て方」を間近で見られたことは大きな刺激でした。自分がまだまだ及ばない次元で仕事をされている先輩がいることを実感し、藤本先生のご指導の下で確かな成長を感じることができました。今後は新しい会社になりますが、機会があればぜひまた藤本先生とお仕事をご一緒したいと、本気で思っています。今はまだ入社したてで出しゃばれませんが(笑)。

藤本: (笑)。いえいえ、お気遣いなく。宮本先生のこのユニークなキャリアの歩みも、間違いなく「創知のヒストリー」の立派な1ページです。創知を辞められても、嫌でなければ、このストーリーは、宮本先生について知りたい人や、いわゆる有名大学以外から法曹を目指したい人の参考になると思うので、できたら残しておきたいと思います。今日は貴重なお話を本当にありがとうございました。新しい舞台でのご活躍、心から応援しています。

宮本: こちらこそ、本当にありがとうございました。